後悔の話

こんにちは。

皆さは職場の近くに住みたい派ですか?住みたくない派ですか?
以前職場の近くに住んでいたこともありましたが、買い物に行くときに職場の前の道を通ると否が応でも仕事のことを思い出してしまうんですね。それが嫌で今は少し遠くに住んでいます。気にしすぎでしょうか?

ふとした瞬間に昔のことを思い出すこと・・・皆さんにもありますよね。
僕は中学時代に新聞配達をしていたのですが、その時にイヤホンで聞いていたBaha MenのWho Let The Dogs Outを聞くたびに、新聞配達をしていた頃のことを思い出します。冬の朝の冷たい空気、涙目になりながら毎朝暗い道を息を切らし自転車をこいで配達をしていた日々、とても嫌な経験として脳裏に刻み付けられています。Who Let The Dogs Outは滅茶苦茶ノリのいい曲なので聞いてみてくださいね。

さて嫌な経験というものはなぜこんなにも覚えていられるのでしょうか。
あるネット記事には、このように書いてありました。
「過去の嫌だった経験や失敗経験を繰り返さないために、忘れずに覚えているのだ」
なるほどと思いました。確かに理にかなっている話で人間が成長していくために必要な仕組みなんだと思います。
ですがこの、失敗体験を克服できないとどうなるのでしょう。心のモヤモヤをずっと抱えて生きていかなければならないのでしょうか。

人間の心は天使と悪魔のように、自分に対する否定的な気持ちと肯定的な気持ちが鬩ぎあっていると僕は思います。
失敗体験を抱えていたとしても、「あれは仕方なかった。今の自分は幸せだし気にすることない。」と肯定的に思えることが大切なのです。そうでなければ、今までの失敗体験からくる自己否定に押しつぶされてしまいます。
僕自身過去の失敗に囚われやすい人間なので、苦しい思いをしたこともありました。
この苦しさから遠ざかるために何ができるのか。僕は一つの答えにたどり着きました。それは、成功体験を積み重ねるということです。成功体験というと、なにか壮大な事をしないといけないと思いがちですが、そうではありません。小さな目標を立ててそれを少しずつ達成していくのです。例えば「今日は10分だけ部屋の片づけをする」とか、「積み上げていた本を10ページだけ読み進める」とか些細なことです。
僕は、「ゲームのランクをここまで上げる」とか「今月は〇円貯金する」といった目標を立てて日々過ごしています。こんなことでいいと思います。そういった小さな目標や幸せを積み重ねていくことで、自分を認めてあげることができると思います。

大事なのはスモールステップです。小さなことからコツコツと。

皆さんも何かできることから始めてみませんか。

次はもっと気楽に書ける話をしたいとおもいます。
またいつか。

生まれた場所の話

こんにちは。

ところで皆さんの故郷ってどこですか?

標準語で関東人のふりをしていますが、僕の故郷は大阪です。
といっても大阪に住んでいたのは幼少期の頃で、大阪で暮らしていた頃の記憶はありません。
ですが、父の実家があるということもあり、年末年始・お盆の時期にはよく帰省のために訪れていました。

父の実家には3人の人間がいました。
父の母、私からみた祖母と父の兄2人です。

子供の頃はこの家族構成に対してなんの感情ももっていませんでしたが、今振り返ってみるとそれは異様な光景でした。
というのも、父の兄、私からみた叔父2人は無職で、いつ行っても酒の匂いをさせながら絡んできました。
その二人を養っているのは祖母で、叔父2人は働きもせず1人はパチンコに行き、1人は酒を飲み祖母に暴言を吐くこんな生活を続けていたのです。
ですが叔父の一人(Aとします)は私たち子供たちを可愛がり、よくお小遣いをくれたり、遊びに連れて行ってくれました。私たちはそんなAが大好きでした。
またAはパソコンが好きで、何台も部屋にパソコンを持っており、そのうちの一つを僕にくれたりもしました。
そのパソコンにはいろんなゲームが入っていて当時、両親にゲームを禁止されていた自分にとってそのパソコンは宝箱のようなものでした。
特に、パソコンの中に入っていたOLもののエロゲーは当時小学生の自分には刺激が強すぎて、今の自分の性癖を決定づけるものだったと思います。

そんなかなり世間的には終わっている父の実家ですが、私も小学校、中学校と年齢が大きくなっていくにつれて足を運ぶ機会も少なくなりました。
そして何年かたった中学3年の春のことでした。もともと認知症を抱えていた祖母の認知症が進行しADLがかなり低下してしまいました。
当然、家にいる叔父たちは祖母の面倒がみれないことから、祖母は施設へ行くことになったのです。

祖母が施設に行く。残されたのは叔父2人。
あとは皆さんの想像通りです。

久々に訪れた家の中は、ごみが散乱し足の踏み場はなく、ウジ虫がそこら辺を這っているような状況でした。
そのごみの中Aは寝ていました。声をかけても、昔のような笑顔はなく、少し唸るだけで何も話しませんでした。
完全にアルコール依存症で、酒漬けの生活になっていたのです。酒を飲んでは寝るの繰り返し、完全に狂ってしまっていました。
その後Aはアルコール依存を治療するために病院へ行ったり、アルコールから離れるために父がしばらく面倒をみたりといろいろと尽力したようでしたが、
結局スリップを繰り返し、Aは廃人となっていきました。

Aは自分で日常生活のことが何一つできなくなり、しばらくして彼は施設へ入りました。
数年後私はその施設に家族と面会に行きました。
「Aさん久しぶり。元気にしてた?」
そう声を掛けましたが、Aは少し笑うだけで話はしてくれませんでした。すぐに車いすを動かし自分たちから離れていきました。

まもなくAは死にました。死因について両親は詳しく話してくれなかったので知りませんが、
確か癌か何かだったと思います。

私はAの訃報を聞いた時に、この人の人生はなんだったんだと思い、とても悲しい気持ちになりました。
お酒におぼれ廃人となり、若くして最後は施設で孤独に死ぬ。空っぽです。何も成し得ていないし、何も残っていない。
もしかしたら私たち家族がもっと尽力していれば、こんな死に方することはなかったのかもしれませんが、もう後の祭りです。
この話を書いたのは大好きだったAを忘れないようにすること、こういう生き方をしている人間も世の中にはいることを知ってほしかったからです。
せめて僕だけでも彼を覚えていたい。彼が生きていたということを覚えていたいのです。

家族の問題というのはとても複雑で、家族の中で何かあったときにそれを解決するには、家族全体の問題対処能力が重要になってきます。
家族の形は様々です。父の実家のように異様な光景ではあるけれども家族として何とか成り立っているところもあります。
家族の形に正解はないので、それぞれの家族がより良い答えを出していくしかないんですね。
みなさんは毎日家族とコミュニケーションをとっていますか?家族の問題・・・小さな火が大きい火となって家族全体を飲み込んでしまわないように・・・。
普段から話し合ったり、相談したり、誰かが困ったら誰かが助けてくれるそんな家族だといいですね。


またいつか。

人間の話

今日も上司の顔面を心の中で殴った。

皆さんこんばんは。

人類いろんな人種がいるように、世の中には多種多様な人間がいますよね。
自分は周りとは違う、これをはっきりと感じだすのは2次性徴が過ぎたあたりで、みなさんの心の中でアイデンティティという横文字が確立するころです。自分は異常者で中学高校と引きこもっていたので、大学に入った頃に初めてこの自分と他人との違いを感じ始めました。
私はあまり人間関係が得意ではない上に、人の目が気になるタイプだったので、友達は多くなかったです。特に俗に言う陽キャというジャンルの人間が苦手でした。大学時代は自分と同じような性格の人間とつるみ、傷をなめあう毎日を送っていたのです。大学時代まではある程度、自分と同じような性格の人間と助け合って生きていくことで、やってこれていました。しかし、就職した途端人間関係というデカい壁が私を襲ったのです。

自分と全く性格が違う同僚、上司と人間関係を作っていきながら仕事をこなしていく。仕事自体しんどいのに人間関係のしんどさが毎日私を襲いました。この人間関係に適応できずドロップアウトしていく人間はたくさんいます。就職試験だけでは測れない、仕事と人間関係の両立。これをこなせる人間だけが社会人としてやっていけるわけです。幸い私は、なんとか仕事と人間関係の双方をこなし社会人1年目を無事に過ごすことができました。

異変が起きたのは2年目の夏でした。当時は難しい案件を受け持っており、心と体をすり減らしながら仕事をしていました。
毎日職場と家の往復の繰り返し。好きだったゲームも手につきませんでした。
それは突然おこりました。いつもどおり車を運転して職場に向かっていると急に目から涙が溢れてきました。
ポロポロと落ちていく涙。最初はわけがわかりませんでしたが、自分が限界だということに気づくのは遅くはありませんでした。

そこから私は自分を見つめなおすことにしました。
なんでこんなに辛くなっているのか、自分をここまで追い詰めた原因は何か考えました。

その原因の一つ目は
周りの目を気にしすぎるということです。周りの目を気にしすぎたあまり過剰に人に気を使い、
常に「いい人」であろうとしていました。上司や同僚からお願いされたことは何でも引き受けていました。
たとえ自分の仕事が立て込んでいても他人を優先していたのです。
まず、これをやめることにしました。社会人としての常識ある対応は残しつつも、自分を大切にすることを考えました。
有休をとる日を決め、その日には誰に何を頼まれようと断ることにしました。新人だと、上司や同僚に頼まれたことは断りづらいですが、自分が忙しい時には忙しいことを伝えることにしました。
このことによって、今までのなんでもしてあげる私像は崩壊しましたが、自分自身が自分のペースで仕事をすることができ、
上司も自分の忙しさを理解してくれるようになりました。

2つ目は会社の人間とは深く付き合うのをやめました。
会社に入ると若い人間がやらされるのが組合の役員。組合の役員としてほかの単組の人と話をしたり、同じ役員と飲みに行ったり、そういうのが好きな人間もいるでしょうが、私には苦痛でしかありませんでした。交友関係が広くなればなるほど、深くなればなるほど自分のプライベートが侵されているような気がしました。なので組合をやめました。その分後輩にそのしわ寄せがいってしまったことは申し訳ないですが、自分は組合活動に向いていないことを伝え、役員をやめました。
そのおかげで、自分のプライベートを大事にすることができました。土日にあった動員もいかなくてよくなり、好きだったゲームも楽しむことができるようになりました。

日本の社会は世渡り上手な人が生き残っていくのが常です。それは人間関係が得意な人が生き残っていくということではなく、仕事とプライベートを両立し、自分を守りながらうまく立ち回れる人間が生き残っていくということです。
いい人である必要はないし、周りに愛想を振りまく必要はないです。人間関係はほどほどに自分のタスクをこなしてればいいんです。同じように悩んでいる人がいれば少し肩の力を抜きながら仕事をしてもらえたらなと思います。

長くなりました。さようなら。

20代のOL

皆さん出会ってますか?

今年になってからマッチングアプリを始めたんですがもう2か月が経とうとしています。
自分は飽き性で、今まで付き合った人も1か月くらいで飽きて
めんどくさくなっていた異常者なんですが、マッチングアプリでのやりとりはめんどくさいと思ったら
すぐ切ればいいので心が楽です。心の安定が一番大事。

こんな自分でもイイネを送ってくれるこれまた変わり者もいるわけで
その女性の話をします。

その女性は顔写真もなにも登録していなくて、
明らかにサクラかヤバイやつやろな~と思いながら、とりあえずいいねを返しました。
危険なところに突っ込みたくなる衝動みなさんにもありませんか?

メッセージをしてたら以外と普通の人で丁寧に返事を返してくれるし
好きな芸人の話で盛り上がったりもしました。
お~ええや~んこの人と思いながらやり取りは続けていたんだけれど
ひとつ気になる点があったんですね。

マッチングアプリにはプロフィールに自分がどんな人か
書く欄があってみんな大体300~500文字程度書いているんですね。
恋愛に真剣なやつ程ここのプロフィールの文字量が多くて、文字の量につれて
地雷を引く確率も低い。これアプリの常識なので覚えましょう。

んでその女の人のプロフィールには一言だけこうかいてありました。
「結婚願望はありますが、こどもは欲しくありません。」

これみなさんどう思いますか?????
今はいろんなジェンダーが認知されてきてノンセクシャルとか
アセクシャルとかいろんな人がいるわけです。そこは理解してます。
でも子供を作らないのに結婚する意味ってありますか?内縁の夫、妻でよくない??
お役所の文書的な証拠だけはほしいっていうことなんですかね。

まあそれみて明らかに「あ~これは自分には合わねえな」と思って会話切ろうと思ったんですけど
どうせ会話切るなら、顔写真晒してもらってそれから切るかと思って、
どんな人がやってるのか興味もあったので「顔写真交換しませんか」って聞いたんですよね。

したら意外にも簡単に顔写真をくれて
それがま~~~~~~普通に可愛いんですよね。
どれくらい可愛いかっていうとクラスで3番目くらいに可愛いくらい可愛い。
芦田愛菜ちゃんの側近クラスって感じですね。
可愛いと本能的に逃したくないのが男の性で
なんだかんだ話が続いて、今度その人と飯食いに行きます。

その感想はまたいつか。