生まれた場所の話

こんにちは。

ところで皆さんの故郷ってどこですか?

標準語で関東人のふりをしていますが、僕の故郷は大阪です。
といっても大阪に住んでいたのは幼少期の頃で、大阪で暮らしていた頃の記憶はありません。
ですが、父の実家があるということもあり、年末年始・お盆の時期にはよく帰省のために訪れていました。

父の実家には3人の人間がいました。
父の母、私からみた祖母と父の兄2人です。

子供の頃はこの家族構成に対してなんの感情ももっていませんでしたが、今振り返ってみるとそれは異様な光景でした。
というのも、父の兄、私からみた叔父2人は無職で、いつ行っても酒の匂いをさせながら絡んできました。
その二人を養っているのは祖母で、叔父2人は働きもせず1人はパチンコに行き、1人は酒を飲み祖母に暴言を吐くこんな生活を続けていたのです。
ですが叔父の一人(Aとします)は私たち子供たちを可愛がり、よくお小遣いをくれたり、遊びに連れて行ってくれました。私たちはそんなAが大好きでした。
またAはパソコンが好きで、何台も部屋にパソコンを持っており、そのうちの一つを僕にくれたりもしました。
そのパソコンにはいろんなゲームが入っていて当時、両親にゲームを禁止されていた自分にとってそのパソコンは宝箱のようなものでした。
特に、パソコンの中に入っていたOLもののエロゲーは当時小学生の自分には刺激が強すぎて、今の自分の性癖を決定づけるものだったと思います。

そんなかなり世間的には終わっている父の実家ですが、私も小学校、中学校と年齢が大きくなっていくにつれて足を運ぶ機会も少なくなりました。
そして何年かたった中学3年の春のことでした。もともと認知症を抱えていた祖母の認知症が進行しADLがかなり低下してしまいました。
当然、家にいる叔父たちは祖母の面倒がみれないことから、祖母は施設へ行くことになったのです。

祖母が施設に行く。残されたのは叔父2人。
あとは皆さんの想像通りです。

久々に訪れた家の中は、ごみが散乱し足の踏み場はなく、ウジ虫がそこら辺を這っているような状況でした。
そのごみの中Aは寝ていました。声をかけても、昔のような笑顔はなく、少し唸るだけで何も話しませんでした。
完全にアルコール依存症で、酒漬けの生活になっていたのです。酒を飲んでは寝るの繰り返し、完全に狂ってしまっていました。
その後Aはアルコール依存を治療するために病院へ行ったり、アルコールから離れるために父がしばらく面倒をみたりといろいろと尽力したようでしたが、
結局スリップを繰り返し、Aは廃人となっていきました。

Aは自分で日常生活のことが何一つできなくなり、しばらくして彼は施設へ入りました。
数年後私はその施設に家族と面会に行きました。
「Aさん久しぶり。元気にしてた?」
そう声を掛けましたが、Aは少し笑うだけで話はしてくれませんでした。すぐに車いすを動かし自分たちから離れていきました。

まもなくAは死にました。死因について両親は詳しく話してくれなかったので知りませんが、
確か癌か何かだったと思います。

私はAの訃報を聞いた時に、この人の人生はなんだったんだと思い、とても悲しい気持ちになりました。
お酒におぼれ廃人となり、若くして最後は施設で孤独に死ぬ。空っぽです。何も成し得ていないし、何も残っていない。
もしかしたら私たち家族がもっと尽力していれば、こんな死に方することはなかったのかもしれませんが、もう後の祭りです。
この話を書いたのは大好きだったAを忘れないようにすること、こういう生き方をしている人間も世の中にはいることを知ってほしかったからです。
せめて僕だけでも彼を覚えていたい。彼が生きていたということを覚えていたいのです。

家族の問題というのはとても複雑で、家族の中で何かあったときにそれを解決するには、家族全体の問題対処能力が重要になってきます。
家族の形は様々です。父の実家のように異様な光景ではあるけれども家族として何とか成り立っているところもあります。
家族の形に正解はないので、それぞれの家族がより良い答えを出していくしかないんですね。
みなさんは毎日家族とコミュニケーションをとっていますか?家族の問題・・・小さな火が大きい火となって家族全体を飲み込んでしまわないように・・・。
普段から話し合ったり、相談したり、誰かが困ったら誰かが助けてくれるそんな家族だといいですね。


またいつか。