人間の話

今日も上司の顔面を心の中で殴った。

皆さんこんばんは。

人類いろんな人種がいるように、世の中には多種多様な人間がいますよね。
自分は周りとは違う、これをはっきりと感じだすのは2次性徴が過ぎたあたりで、みなさんの心の中でアイデンティティという横文字が確立するころです。自分は異常者で中学高校と引きこもっていたので、大学に入った頃に初めてこの自分と他人との違いを感じ始めました。
私はあまり人間関係が得意ではない上に、人の目が気になるタイプだったので、友達は多くなかったです。特に俗に言う陽キャというジャンルの人間が苦手でした。大学時代は自分と同じような性格の人間とつるみ、傷をなめあう毎日を送っていたのです。大学時代まではある程度、自分と同じような性格の人間と助け合って生きていくことで、やってこれていました。しかし、就職した途端人間関係というデカい壁が私を襲ったのです。

自分と全く性格が違う同僚、上司と人間関係を作っていきながら仕事をこなしていく。仕事自体しんどいのに人間関係のしんどさが毎日私を襲いました。この人間関係に適応できずドロップアウトしていく人間はたくさんいます。就職試験だけでは測れない、仕事と人間関係の両立。これをこなせる人間だけが社会人としてやっていけるわけです。幸い私は、なんとか仕事と人間関係の双方をこなし社会人1年目を無事に過ごすことができました。

異変が起きたのは2年目の夏でした。当時は難しい案件を受け持っており、心と体をすり減らしながら仕事をしていました。
毎日職場と家の往復の繰り返し。好きだったゲームも手につきませんでした。
それは突然おこりました。いつもどおり車を運転して職場に向かっていると急に目から涙が溢れてきました。
ポロポロと落ちていく涙。最初はわけがわかりませんでしたが、自分が限界だということに気づくのは遅くはありませんでした。

そこから私は自分を見つめなおすことにしました。
なんでこんなに辛くなっているのか、自分をここまで追い詰めた原因は何か考えました。

その原因の一つ目は
周りの目を気にしすぎるということです。周りの目を気にしすぎたあまり過剰に人に気を使い、
常に「いい人」であろうとしていました。上司や同僚からお願いされたことは何でも引き受けていました。
たとえ自分の仕事が立て込んでいても他人を優先していたのです。
まず、これをやめることにしました。社会人としての常識ある対応は残しつつも、自分を大切にすることを考えました。
有休をとる日を決め、その日には誰に何を頼まれようと断ることにしました。新人だと、上司や同僚に頼まれたことは断りづらいですが、自分が忙しい時には忙しいことを伝えることにしました。
このことによって、今までのなんでもしてあげる私像は崩壊しましたが、自分自身が自分のペースで仕事をすることができ、
上司も自分の忙しさを理解してくれるようになりました。

2つ目は会社の人間とは深く付き合うのをやめました。
会社に入ると若い人間がやらされるのが組合の役員。組合の役員としてほかの単組の人と話をしたり、同じ役員と飲みに行ったり、そういうのが好きな人間もいるでしょうが、私には苦痛でしかありませんでした。交友関係が広くなればなるほど、深くなればなるほど自分のプライベートが侵されているような気がしました。なので組合をやめました。その分後輩にそのしわ寄せがいってしまったことは申し訳ないですが、自分は組合活動に向いていないことを伝え、役員をやめました。
そのおかげで、自分のプライベートを大事にすることができました。土日にあった動員もいかなくてよくなり、好きだったゲームも楽しむことができるようになりました。

日本の社会は世渡り上手な人が生き残っていくのが常です。それは人間関係が得意な人が生き残っていくということではなく、仕事とプライベートを両立し、自分を守りながらうまく立ち回れる人間が生き残っていくということです。
いい人である必要はないし、周りに愛想を振りまく必要はないです。人間関係はほどほどに自分のタスクをこなしてればいいんです。同じように悩んでいる人がいれば少し肩の力を抜きながら仕事をしてもらえたらなと思います。

長くなりました。さようなら。